終戦記念日。

終戦記念日。

昨日は、終戦記念日でした。

朝一番に、大阪護国神社にお詣りをして、すべての英霊に、感謝と深い敬意を捧げました。

今、戦争のことを語れる方は、かなり限られてきました。

しかし、戦時中の話しを聞いている世代はまだいます。

私自身も、戦前生まれの父母(他界していますが)から、聞いていることはあります。

そのような話しもとても大切な伝承事項だと思います。

父は、昭和10年の高槻生まれです。(当時は、高槻ではなく、後に合併する、五領村の生まれでした)

農家だったので、食べるものに苦労したことは覚えていない、と言ってました。

しかし、農家だから米の備蓄があるので、食糧不足の人が、家に訪ねてきて、着物などと物々交換していたこと、また、国鉄の汽車が通過する際に、上り坂のところで、速度がゆるやかになる時、いろんな物資を投下すること、も聞きました。これは、何のためなのかよくわかりませんが、なんらかの物々交換が行われた供給物資だったのかもしれません。

また、私の父方の祖父は、出征していたそうで、終戦後、戦地から帰ってくる可能性の日々を、毎日、父は迎えるために、まだかまだかと、当時の高槻駅に行っていたそうです。

何日も、何日も通ったと聞いています。

そして、祖父は戻って来たそうですが、軍服にはシラミがたくさんいたと父は話していました。

母は、昭和12年の京都市内生まれです。

おたべのような、京菓子屋さんの家だったようです。

終戦後は、小学生だったと思うのですが、「ギブミーチョコレート」と、いうと、米兵から銀紙に包まれた美味しいチョコレートをもらえた、と言っていました。

京都は、文化的遺産があるので、空襲はなかった、ときいています。

食糧に苦労したのかは、聞かされたことがありせん。

切実なことは、きかされていませんが、本当はもっと苦労したことがあったのかもしれません。

戦時中の生きるための話し、戦後の生活の話しなど、体験した方から聞いていくこと、そして、それを伝承していくことが、平和な世界にしていく一歩になると思い、7月、8月の活動として続けています。

戦争のない平和な世界、そして、奪い合いのない平和な世界を願います。